

わたしたちのこれまで
明治36年(1903年)、中山太陽堂として創業した私たちクラブコスメチックス。
いつの時代に合っても、地に足をつけ、より多くの女性に美しさをお届けすることに専心し、進化し続けてきました。
-
1971昭和46年
社名を「クラブコスメチックス」
と改称新生「クラブ」へのイメージアップを図り、かつ、ファッション産業への担い手にふさわしい名称にと、創業から68年目に会社名を「株式会社 クラブコスメチックス」に改称。 化粧品メーカーとして出発を果たした。
クラブマーク
フォトライブラリー
製品
広告
華麗なる広告
初代社長の中山太一は広告王とも呼ばれ、あふれるアイデアを駆使して商品を紹介しました。
配達と宣伝を兼ね備えた荷車、芸者をモデルにし呉服店(現在の百貨店)とタイアップした美人写真広告、美人を描いたポスターはそれぞれに人々の注目を集めました。
-
荷車 -
美人写真広告
(三越呉服店「時好」掲載) -
ポスター
出版
プラトン社の展開
大正11年、中山太陽堂の宣伝戦略の一環としてプラトン社を創設。
山六郎や山名文夫が手がけた美麗なデザインは、現在もなおモダンデザイン史の分野でも高い評価を受けています。
裏表紙、中面にはクラブの商品広告が掲載されています。
-
女性
(大正13年) -
苦楽
(大正15年) -
四葉の苜蓿
(クローバ)
(里見 弴著 大正12年)